文化「人間」

ゲミュートにおいて、「人間」「人」とは文化の名前であり、それに参加する能力を認められた者のことを指す。

現在、「ヒト」「パーティラ」「クジャワ」「ペングウェン」「モカイ」が生まれながらにして人間の扱いを受ける「人間種族」に認定されている。また、しっかりと定義づけられてはいないが、神や邪神そして神獣も人間同様の扱いをされている。

 

人間認定試験

「人間種族」以外の全ての生命は全て「非人間種族」と区分されている。この中で、毎年数回定期的に行われる「人間認定試験」に合格した者は、たとえ家畜や植物であっても人間文化への仲間入りを許される。(ただし、微生物に関しては「他の人間に視認される能力が無い」という理由で全面的に受験希望を拒否されている)

ヴァーダという水棲狼の種族は、実に半数以上の個体が試験を受けているが、未だ謎が多く、また合格率もあまり高くないという理由から、長い間非人間種族とされている。彼らに向けた学校の設立も何度か提案されたが、「本来人間が通うものである学校に非人間種族が通うのは本末転倒である」という意見が多く、実現には至っていない。

 

たとえ能力があっても、人間として生きる意思が無ければ「人間ではない生き物」として引き続き生きることもできる。人間として認められると多くの権利や保護を得られる代わりに納税などの義務も背負うことになり、それを嫌うものも一定数いる。

動物園及び水族館のような、非人間のままでも充分安全に暮らしていける環境にいる生物などがこの傾向にある。とある動物園では、飼育員を交えて野球をする動物たちの姿が見られる。

猫には「自分は可愛いので、たとえ野良でも人前に出れば美味いものをもらえる」という考えがあるらしく、受験率が非常に非常に低い。

 

人間認定試験に関するエピソード

人間になった朝顔

低い級ではあるが、この試験を受け見事に合格した朝顔がいる。

「I・ニル-サン」と呼ばれた彼/彼女は、今やゲミュートでは伝説である。

移動中の悲劇

とあるムカデが“通行”中、彼女を見た“人間”によって反射的に踏み潰されて殺されてしまった。

彼女はこれから試験を受けようとしていた身であり、「まだ人間と認められていない」という理由でその“人間”が殺人罪に問われることはなかった。

この“事件”を受け、国は即座に「仮人間(受験希望が受理された者を対象に、試験結果が出るまでの間一時的に人間として扱う)」についての法を制定した。

その他の文化

死生観

ゲミュートでは、生き物の魂がこの世で活動するためには、器(肉体)が生きている必要があるとされている。器が器としての機能を果たさなくなると(死亡がこれにあたる)この世とと魂を繋ぎとめる力が急速に弱まり、やがて魂はこの世から完全に消えてしまう(「あの世」に行く)のだ。

 

死亡が確認されると、まずはその魂を早急に新しい器となる入れ物に移すことになる。方法は簡単で少し手順を覚えれば誰にもできることだが、死を異常に嫌う者もいるため(クジャワに多い)、大抵は次の葬儀と併せて僧侶によって行われる。

多くの場合新しい器には専用の壺が選ばれるが、これは単なる僧侶の営業活動の一環であり、魂の入れ物だと周囲の人が認知できるものなら何を使っても構わない。極稀だが、故人と入れ替わるように誕生した赤ん坊に魂を移すこともある。しかし、「器としての機能を果たさなくなる」とは、破壊や経年劣化等だけでなく「器が器と認識されなくなる」ことも当てはまるため、その点において僧侶が売りつける壺には「永く器として人々に認識される」という特別な効果があるともいえる。

魂の移動の次には葬儀が行われる(地域によっては通夜を挟むこともある)。遺族ら残された者を安心させること、器及びこの世と魂の結びつきを強めること、そしてこれまで魂をこの世に結び付けていた肉体に感謝することが主な内容である。この時僧侶は意味の分からない言葉を扱うが、非常に古い言葉を使ってそういった内容の文言を述べているだけなので、別に怪しい魔法を唱えているだとかそういうわけではない。

葬儀や関連行事の後、魂の器は家の中に安置されるか、屋外の墓地に遺体或いは遺骨と共に埋葬される。

 

役目を終えた肉体の扱いは故人の遺志や地域によってさまざまである。一般的に多いのが土葬(遺体が再び器に戻るまでの保管)で、東部では火葬(器は使い捨てであるとの考えが強い)、その他水葬、樹木葬、散骨などにより自然に還すことを望む者もいる。

クジャワは死に代表される「穢れ」を特に嫌い、かつては火葬の上ゴミのように纏めて一か所に「廃棄」するのが彼らの間で一般的であった。現代では穢れの概念は一部衛生観念と合わさり、火葬が増えたという。ヴァーダは人間文化には理解があるが、彼らの生活圏で行われる水葬に対しては、人類やクジャワは食べても不味く水が汚れるからと強く反対している。

その他種族の場合、主に魚類、虫類、鳥類などは風葬によって自らの種の他の個体と同じように消えることを望むものが多い。

 

肉体から別の器に移された後の魂についてはあまり人々は関心が無いらしく、魂保存の行事(魂を永くこの世に留めるためのもの)をなんとなく毎年行ったりしている。時折故人が霊として人間の前に現れることはあるが、何故最初の器(肉体)の姿で器から出てくるのかを真面目に考える者は現代では少ない。

また、魂がどれぐらいでこの世から解き放たれるかも具体的には決められておらず、魂移し替えは全くの無駄で、肉体が機能を失った時点で既にあの世に行くのではないかという考えもそれなりに支持されている。その場合、前述の霊について矛盾が発生する。(あの世から戻ってくることは不可能とされているため)

あの世に行った後の魂についても、「あの世から戻っては来れない」との部分が共通している様々な説を唱える各々が願望を含んだ説を述べるだけで、これといって定義はされていない。裁かれる、消える、生まれ変わる、救われる、永遠の夢を見る、地獄へ行く、実はあの世はこの世と大差ない、怨みを抱いて死んだ者は怨霊になって戻ってくるなど。

 

そもそも、「死んだらどうなるか」などというものは、どれだけ生者が考えても全く意味のない無駄なことなのだ。