決闘

ゲミュートで今注目されているスポーツ、それは決闘である。

80年ほど前までは、「一方がなにか名誉やそれに準ずるものを掛け公平な条件のもと殺し合う」という、今から考えれば野蛮な勝負事であった。それから80年の間に、大幅にルールを変更しスポーツとして復活した。

 

決闘のルール

  1. 殺害の禁止
    大原則。意図的に相手を殺めれば当然「殺人」となり、また、たとえ不慮の事故であったとしも応手が挑手を殺めれば同様に扱われる。一方で、挑手が応手を殺した場合は、その時の状況などから異なる扱いがなされる。

  2. 戦いに参加しない者がその場にいなければならない
    これは、死亡事故が起こった際に生き残った側を守るための措置でもある。
    大会などの公式な場では、双方に介添人が1人ずつと中立的立場の決闘責任者が1人立てられるが、それ以外ではこの「戦いに参加しない者」についての決まりはなく、例えば挑手の随行者であっても構わない。これについては現在議論中である。

  3. 決闘者の格が違う場合、強者は弱者の戦闘力に応じて使用する武器、能力、戦術等に制限を掛ける
  4. 3.において、制限を掛ける強者を「応手」とし、対する弱者を「挑手」と呼ぶ
    この挑応手の決定は、過去の決闘経験やその他で認められる実力によってなされる。
    全く未経験、或いは能力が未知数の者同士が戦う場合は、数回のラウンド形式が取られ、その中で適宜挑応手を決定する。

  5. 3.の制限の内容は当事者によって決められ、挑手が了承したことを2.の第三者が認めなければならない
  6. 応手は、戦いにおいてあくまでも格上でなければならない
    応手の戦闘力を10、挑手を3とした場合、制限によって応手の戦闘力を3以下にしてはならず、4~5ほどにしなければならないというルール。一見すると挑手が不利になる条件だが、7.と合わせることにより、これが応手にとって大きな負担となる。

  7. 3.で掛けられた制限を、何らかの方法で強制することは許されない
    ここが、格の違う者たちによる決闘の醍醐味である。要は、両手の封印という制限を課した場合でも、紐や魔法で両手を使用不能にしてはならないということ。
    挑手は格上に挑戦するため当然苦戦を強いられるが、応手は自分の戦闘力をセーブしながら戦わなくてはならないため、制限の度合いによっては挑手以上に苦戦することになる。

  8. 3.で決定された制限に違反した場合、その者は即時失格となる
  9. ただし、応手が挑手の戦闘能力を見誤っていた場合、5.と同じような手順で制限を緩めることは可能である

  10. 裁判所等による決定が不服であった場合でも、決闘での解決は一切認められず、決闘に及んだ場合も勝敗が決定に対して影響を及ぼすことは決してない
    前述の通り、かつては名誉を回復するために行った行為だが、スポーツ化に伴い全面的にこれを否定している。

  11. 双方の決闘者に対し時間制限や手数制限などの特殊な条件を設けることは、より決闘を美しくするために推奨される
    この部分のみ推奨要項。古き決闘において、これらの条件下で行われる決闘には特に魅力があるとされていたため、かつての決闘を知るスポーツ決闘の創始者らは、この要項の存在に大いに拘った。

  12. まずは互いにお辞儀をするのだ
    格式ある儀式は守らねばならない。
    11.を除くルールの中で古来より何一つ変わらないのは、この「お辞儀」のみである。

公式決闘大会

毎年10月から3月に行われる。ディアマントを除くゲミュート各地で数回の予選が行われた後、予選の結果に応じてそれぞれに加算されるポイントを一定以上得た者たちによる決勝大会が行われる。ポイントさえあれば決勝大会には出場できるため、どの予選に出るかは選手の自由である。

この決勝大会で優勝した者は「王者/チャンピオン」と呼ばれ、一年間多くの人に持て囃される。決勝大会の出場選手には翌シーズンの開始時にシードポイントを与えられ、少ない予選出場回数でも決勝大会まで勝ち上がれるようになっている。

大抵の選手がこれを利用して戦う回数を抑える中、白銀一虎は「参加することに意義がある」という思想から、毎年出られる限りの予選に出場している。前述の「制限」があるため、王者による初心者狩りという醜い現象は起こらない。

 

運営によれば、5回王者となった者は「殿堂入り」として“名誉の出場停止処分”が下されることになっているが、未だこれを成し遂げたものはいない。

因みに、「制限」のルールがある中でこの“出場停止”が成立する理由として、「格下に対し己の力を自在にコントロールする術が完璧に身に着いている」ことが挙げられている。