昴琥珀が失踪した際に残していった力を根源とする。それ自体が形をもって漂うことはできず、なにかに宿ることで能力を発揮する。
宿る魔力の傾向は種族や個体ごとに異なり、学校では「基本の基本」しか扱えない。
小学校で座学、中学校では一部簡単な実技が扱われ、高校以上は専攻科目となる。
以前は小学校でも実技が扱われていたようだが、ある一人の児童が水魔法の実技で失敗し、爆発で自らの右目と隣の児童を吹き飛ばすという凄惨な事件が起こったため禁止になった。
人間の中には、その人物にしか使うことのできない魔法のような能力が芽生える場合がある。一虎の「光の盾」、パルフェの「鏡」などがこれに相当する。他にも、自由に自分の属性を変えられるというとんでもない能力の報告もある。
属性ともいわれる。
の5つを基本とし、大抵の場合このうちのいずれかが個体に宿り、得意不得意の傾向を定める。山葵の気質は土。
その他、
が存在。光と闇の気質を持つものは神と邪神ぐらいしか報告例が無い。
誰がどの気質になるかは本人の性格や出身地など様々な要因から決定される。極稀に、性格の変化などにより途中で変化することもある。
死と命に関しては不明な点が多く、独自に研究を進めているヴェティ以外でこの気質について知るものは非常に少ない。基本的に魔法にしか宿らず、他の気質に対して特に強気に出たり弱気になることがないという特徴がある。どちらも仕組みは非常に近いらしい。
無の気質は少々特殊で、他の9種の気質に当てはまらない、或いは魔法とは呼びきれないものが当てはめられている。死や命に比べればまだ出会う確率は高く、もしかしたら、この気質を持つ人物が世界のどこかにいるかもしれない。
これら10の気質には、特定の気質に対して強気に出たり弱気になる「相性」とも呼ぶべき関係がある。
ゲミュートには、気質の相性について6つの文章が存在する。
木は土を締め付け、水を吸い、
火は金を溶かし、木を焼き尽くし、
土は水を濁らせ、火を掻き消し、
金は木を切り倒して土の上に立ち、
水は火を消し止め、金を錆びさせる。
時に木は金にも動ぜず、火を受け付けない。
時に火は水を消し飛ばし、土をも焦がす。
時に土は木を受け入れず、金を揺るがす。
時に金は火を防ぎ、水を弾く。
時に水は土を流し、木を腐らせる。
何事も、相手を認め、己を知らねば上手くはいかないものである。
光は天にあり。
全てを温かく見守り、全てを消し去る。
どれだけ木が生い茂ろうと、
火が力強く燃え上がろうと、
土が全てを揺るがそうと、
金が鋭く尖ろうと、
水が天を覆い隠そうと、
あの光には敵わぬもの。
光は闇の中より生まれた。
深い闇は光を覆いつくすが、強い光は闇を照らす。
闇は光のみを恐れ、光もまた闇のみを恐れる。
闇は時に我らの姿を映し、我らを守る盾ともなる。
闇の力を防げるのも、闇の力のみである。
死と命は、ただそこに在るのみ。
決して支配することは叶わず、我らを捻じ伏せることもない。
無は、この世の全てと共にあり、全てと共にない。
1つめの文章には基本の気質の相性が書かれ、それぞれ2つの気質に強く、別の2つに弱いことが示されている。しかし2つめの文章では、必ずしも相性通りにはいかないとされている。要は捉え方次第、力の使い方次第で全てが決まるということ。
3つめの文章には、基本気質全てに対して強気に出られる光について記されている。次の文章と併せて考えると、恐らく光とは太陽のことを表しているのだと思われる。
4つめの文章は、その光と互いに強気の関係にある闇の気質について。光が太陽とするなら、闇は夜或いは宇宙に相当する。ここでは更に、闇が強気に出られる相手は光のみであり、また同じ闇以外に対して弱気になることがない守りの気質であることも記されている。
5つめと6つめには死、命、無の3つの謎の気質について記されており、これらが他の気質とはなんの関りもなく相性とは無縁であることが示されている。
気質は全ての生命に宿る。
どの気質が宿るかは対象の種ごとに決まっている。茶ネズミは水、ハネチャコウモリは火、といった具合である。現状、どういった特徴を持つ生き物にどの気質が宿るかについて傾向を見出すことはできていない。
人間も生まれた時点で無の気質が宿るが、人間は人格形成に伴って気質が変化するため、10代中頃以前で無の気質を持つものは「気質が宿っていない」と判断される。前述の「無の気質を持つ人物」とは、本来であれば他の気質が宿っている筈の年齢になっても無気質のままであり、且つその力を操れる者のことを指している。
人間の気質が決まる要因は様々であり、同じ性格でも周囲の環境で全く違う気質が宿るなどといったことも多々ある。気質が宿ると同じ気質の力をより複雑に操ることが可能となる。
気質は能力にも多少の影響を与えるとみられている。特に、木、火、金、水の4つが分かりやすい。よく「木と火が攻めの気質、金と水が守りの気質」「火と金が物理の気質、木と水が魔力の気質」と言われている。基本気質の中では土のみ特殊な立場にあり、筋力魔力は平均的なまま、体力が伸び脚は遅くなるという特徴がある。
しかしこれらにも当然個体差、種族差、個人差があるため、一概にこうだと論ずることはできない。
気質は生命だけでなく、魔法にも宿る。
基本気質の魔法が人間の学べる限界とされ、魔力と才能と時間のある者なら光の魔法もある程度会得することが可能。
闇の魔法は比較的簡単に体得できるが、使用者本人による強力な制御が必要で、これに失敗し自滅する者が多い。死の気質が宿った魔法を一部使用した例はあるが、完全に修得した例は報告されていない。また、闇以上に制御が困難とされる。
命の魔法は、基本から死までの全ての魔法の知識が無ければ仕組みを理解することができず、資料も全くと言っていいほど存在しないため、端くれの魔法すら使えた者はいない。死と命の魔法は、神や邪神でさえも完璧に使えるか怪しいという。
人生を掛けてやっと基本と光の一部を体得できるこの世界で、それらに加え制御困難な闇や死、更には全てではないが命の魔法すらも一部扱うことができるというヴェティは一体何者なのだろうか。